3.体力の限界
30代後半から、たびたび、ぎっくり腰になるようになり、年々、頻度と程度が増して行くのを感じていました。それで一日に施術する患者数を6人、5人、4人と減らして行きました。
40代半ばには、このままでは腰がもう限界、鍼とマッサージのコンビ治療がうちのトレードマークの治療スタイル、とかこつけて、マッサージのみの患者さんをお断りするようにしました。
鍼とマッサージのコンビ治療のみにしたら、患者さんは減りましたが、鍼なら、置鍼して、その場を離れることが出来て、体はずい分と楽です。
同時に治療スタイルが変わったので、既存のホームページを削除しました。
新しくホームページを作り直せばよかったのですが、その時は、すでにコスメティックタトゥーをはじめていたので、情熱が鍼マッサージ治療から、新たに始めたコスメティックタトゥー、メディカルタトゥーに移っていました。それにこちらは体力もいらないし、単価も大きい。
もしかしたら、鍼灸マッサージが天職なのではなく、適職なのでもなく、人に遣われることが不適職だったかもしれません。
高校卒業から20代前半まで、いろいろな仕事をしました。洋服の販売、喫茶店のウェイトレス、バスガイド、キャバ嬢、OL事務員、工場勤務、受付、などなど。
自分は何の仕事が合うのだろう?
職場の人間関係が嫌だったり、自分勝手に人と比べて卑下したり、苦しかったりするから、何をやっても長続きせず。
人に遣われずに自分一人でできる仕事や資格はないかな?と考え、
そうだ、鍼灸マッサージなら、小さく店を持って自分の食い扶持を稼げばいいんだし、なんなら自宅でやれる仕事だから、資金もほとんどいらずに始められると考えて、
20代半ばで鍼灸マッサージ専門学校に入り、それ以来、水を得た魚の如く、これぞ、天職だと感じたのに。。。。
長い間、鍼灸マッサージは、自分の天職だと思い、会う人沢山の人にも、そう話してきたのに、体が追いついて行かなくなると、情熱は消えていきます。決して嫌いにはならないけれど、体力の限界とは、そういうものです。
また、人に遣われる仕事に逆戻り。しかも55歳という年齢で(汗)
次回は、私が選んだ職業「検眼医アシスタント」、それを選んだ経緯を書いていきたいと思います。